「グリードの背中と腰は、コーラのにおいがする、かナ」
なんでもなさそうにそういうと目を伏せたリンは、その長い前髪を鬱陶しそうにかきあげて、そうして気だるげにこちらを見た。コーラのにおい、というものを思い出しながらペットボトルのなかのぬるくなったミネラルウォーターを喉へと流し込む。これが血となり肉となるのだ。巡り巡って命の一部になっていく百二十六円だったもののことを考えながら、ただぼんやりと空を眺める。リンだって同じようにしていた。ギラついた太陽を睨んでいるのかもしれなかったが、細められた瞳の真意は覗えない。
リンはどこかの国の皇子だと言っていた。どこのだかは忘れてしまったものの、従者まで付いてるんじゃあながち嘘でもないのかも知れない。その従者だって華奢な女なもんだからどうにも嘘臭いが、時折見せる真摯な表情なんかは、少しは信用してもよさそうなものに思えた。おれはそんなリンになぜか懐かれて、こうして中庭で昼飯を一緒に腹に押し込んでいるだけで、なにも奴のそういった話に興味があってこうしているわけではない、というのは最初に断っておくべきだろうか。恐ろしい料理の山が吸い込まれていくようにリンの口へと運ばれていった。影が焦げ付くんじゃないかというほどの太陽光に焼かれながらただそれらを摂取する。おれのほうがおかしいんじゃないかと思えた。大して体が大きいわけでもないのにどうしてここまで食うのか。見ているだけでどうにも胃がおかしくなりそうで口を押さえる。話を戻そう、と思いながら。
「コーラのにおい?」
「うん。まっすぐな背骨と、コーラのにおい」
「へえ」
グリードの話をするときのリンは、少しだけ表情が堅くなる。なにを考えているのか分かりやすい。器用なのか不器用なのか、そこだけは笑ってしまうほどおかしかった。グリードは、どうやらリンと、リンの従者の女と同じ国からやってきたらしい。肉食獣を彷彿とさせるギザギザと尖った歯と、なにより、このリンとまるで同じ外見を持った男。名前のとおりの性格はいっそ気持ちがよい。そして、そんなグリードとリンはどうやら、付き合っているらしい。これは多分おれしか知らないけれど、わざわざ聞き出したわけでもない。人の恋愛事情に首を突っ込んでいるほど暇人なわけでもない。ただつい先日に、二人がそういったことをしている現場に出くわしてしまったがゆえのことだった。外でそんなことしてんじゃねえ、と苦い顔をしたおれに、眉を下げて笑うリンの姿は記憶に新しい。
そして、グリードと仲が良いんだな、と聞いたおれへの返答がまた不可解なものだった。なんの冗談でもないと言わんばかりの顔をしてそういったリンは、まだ口を食物で一杯にしている。きたねえから飲み込んでから話せよと怒ればごめんと謝られ、また食い始める。それがなんだか恐ろしかった。なにかを四六時中、口にしていなければ死んでしまう病気だと言われても納得してしまいそうだ。額にじわりと浮かぶ汗が煩わしくて、肩で拭うと咀嚼を繰り返していたリンにハンカチを渡され驚く。なんだよ、てめえの口周りの汚れは拭かねえのに、汗なんかどうでもいいだろ。
「仲良いんだな」
「うン。だから、おしまイ」
そう言って笑って、最後の一口を押し込んだリンはすっかり元のとおりになった前髪を鬱陶しそうに弄っている。ごちそうさまでしタ、と手を合わせているのがなんだか面白かった。首を汗が伝い落ちていくのも気にならないようで、おれは手渡されたハンカチをどうすることもできず、ただぼんやりとそれを眺めている。仲良い、なんて、聞くべきじゃなかっただろうかと思う。好きなやつの話をするたびに表情を凍らせるこいつが、もし本当に皇子なら、決して叶わないであろうそれに気づいていないわけもない。おしまい、って、なんだよ。そう返そうとした瞬間に、蒸し暑い風に乗ってコーラのにおいがしたような気がした。見たこともないまっすぐな背骨を撫でるリンの姿をそこに見て、罪悪感を感じてしまった自分がおそろしい。ウィンリィに会いたい。そう考え、ぬるいミネラルウォーターを流し込む。

 


このあいだは悪かったな。ぶっきらぼうな声をかけられ振り向けば、丁度胸に巣食うモヤモヤの中心人物であることがわかった。グリード、と名前を呼べば、相変わらず極悪な顔つきを向けられる。あのリンもその気になればこんな顔になるのかと思うとゾッとした。
「このあいだ?」
「言っておくけど、おれが言い出したんじゃねえぞ。あいつが言い出したんだ」
「はあ?おまえ、なんてこと言ってんだ」
「照れてんなよ、こんなぐらいで」
「無茶言うな」
そりゃお前らからすれば取るに足らない些細な話かもしれないが、未だそれに踏み込めていないおれからすればとんでもない話だ。しかし修行僧になった気分であるおれのことなどもちろん知る由もなく、なんとも人の悪そうな笑みを浮かべたグリードはおれを見ている。尖った犬歯を眺めていると何とはなしに、それがあの薄い皮膚を破るさまを思わせた。冗談じゃない、と顔を引きつらせる。
「つーかお前ら、どこいたんだよ」
「おまえら?」
「お前と、リンだよ」
「知ってたのか。中庭でメシ食ってただけだよ」
「へえ」
「おまえの話してたぜ」
「おれの話?」
「おう」
どんな話だ、と聞いてきたグリードにありのままの言葉を伝えようとしたものの、胸中に蘇ってきたリンの言葉に、声が出なかった。コーラのにおいが、ふわりと漂った気がした。思えばおれは、こいつに背骨が存在していることさえ知らなかった。いったいあいつがどんな気持ちでおれに話していたのか。決して楽しそうではなかったのに、無防備になるその姿が、瞼の裏に焼きついて離れない。
「…コーラ」
「あ?」
「コーラのみてえ」
「それのどこがおれなんだ」
つまらなさそうに眉を顰めた男を笑うと頭を殴られた。器用なのか、不器用なのか。楽しそうにリンのはなしをするこいつがすっかりおれのなかで背骨を持ってしまったことを感じながら笑っている。
「リンの奴、なに言ったんだ…」
「おまえの背骨とコーラの話だよ」
「なんだそりゃ」
「おれもそう思った」
いつもあれだけ客観的な目線で物事を話すあいつが、あれだけ要点を得ないはなしをするのは初めてだった。不可解で、どこかおそろしい。どろどろとしたものにまみれた横顔。ブツブツと文句を零しているグリードの背中を眺めている自分が、いつしかのリンと同じであることを、どこかで意識していた。リンもグリードも同じだけ大事な存在だ。できることなら幸せになってくれとおもう。けれど、本人がそれを望んでいなかったなら、友人としてのおれは、どう思うのが正解なんだろうか。
「グリード」
「なんだよ」
「おまえ、あいつのこと好きなのか」
そう口にした瞬間、あくどい顔つきが途端にふにゃふにゃに歪む様がおもしろくてまた笑ってしまった。あのグリードが、こんな言葉ひとつで顔を赤らめているとは、これはなんの冗談だろう。適当に茶化し、走ってその場をあとにすると、丁度役員会議を終えた弟の姿が見えたので手を振って名前を呼ぶ。そうしている間にも脳内を占めているのは、あの蒸し暑い中で、おかしくなったように咀嚼を繰り返している友人の姿だ。疚しい気持ちなんかは更々ないけれど、と思う。
(幸せって人それぞれだ)
 
 
グリリンとエドワード
 
 
 
 
 
 
 

 

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