ライムというものが昔から好きではなかった。青々として、やたらと酸っぱいにおいをあたりに撒き散らして、そうして存在を主張している。ライムソーダを喉に流し込む少年を眺めながらもおもう。洒落た細いグラスだ。その華奢な指先によく似合う。温暖なイタリアで、そんなものの存在はいやけに滑稽におもえてならなかったのだ。ただ降り注ぐばかりである太陽光がギラギラと石畳を焼いていた。それから逃れるよう、安っぽいつくりをした椅子に腰掛けながらぬるいビールを啜っている。テーブルの上には大衆食堂らしい平たいピザが何種類か、大きな皿にまとめて乗っている。それを適当に口に運びながらまた温いビールを啜る。顎を伝う汗を拭う。そうしていると、なんとも整った造形をした顔面をほんの少しだけ歪めてみせるのが、なんだか好きだった。こいつのこんな表情なんかは、中々どうして、見れる者も限られてくるに違いないからだ。
「みっともないですよ」
「細かいことばっかり気にするなよ」
「ぼくは、そういうのはイヤです」
「カワイイもの飲んじゃってまあ」
にやりと笑うと、不機嫌そうにこちらを眺める少年に、おれといえばますます愉快になるばかりであった。この気難しい少年を、なんとか怒らせないままに唸らせることが何よりの楽しみだ。おれでなければこんなことは出来まい。そういった思いに満たされていく自尊心が醜くもくすぶっていた。こいつがおれなんかを好きだと言わなければ、とてもこんな真似は出来てはいないだろう事態が。


「好きです、あなたのことが」。そういったジョルノの顔はまさに真剣そのものである。パサついたチキン・サンドウィッチを黙々と咀嚼していたおれは茶化すことも忘れてただその端正な顔立ちを眺めることになった。成長しきらない、幼さの垣間見える顔立ちをだ。肉厚の唇が緊張からか僅かにカサついている。
ジョルノは、おれのボスで、なんともまあ、見目美しくって、それはもう傲慢で、呆れかえるようなナルシストだ。世界で一番美しいのは自分だと決め付けている(そして惜しいことに、それを否定する材料もないものだから、ジョルノの周りの者はなんとも言いようのないもやりとした心地である)。選ばれたものの証である黄金の髪を風に揺らして、適当なソファに腰掛けたおれを見下ろしてそう口にしたそいつを見上げながらも、おれはどうにも考えることもできず、ただ咀嚼を繰り返していた。どろどろになったチキン・サンドウィッチがいつまで経っても口内に居残っていた。
「そりゃ、どうも」
「きみはどうですか」
「どうって、なあ、どうだよ。考えたことねえな」
「ぼくは、かなり前からそういうつもりでしたけれど」
白魚のようなんかではないが、それでも完璧なかたちをした掌がほんのりと色づいた頬にそえられる。おれはようやく口の中のものを飲み込んで、そうしてジョルノを眺めた。細い首なんかは、少し力を入れて蹴ってさえしまえば、ぽきりと折れてしまいそうである。しかし実際のところ、そんなカワイイものではない。この華奢でいて中性的な外見とは裏腹に、もはや太刀打ちできないほどの力を隠し持っている。おれの上に立つからにはそうでいてもらわないと困るが、そんなものは、いっそ今はどうだって良いのだ。問題は、そのジョルノが、かなり本気のご様子で、おれのことを好きだと言っていることだ。前述の通りおれはこいつに対してそんな感情を抱いたこともないし、そう言った目で見てみろと言われても反応に困るだろう。確かに綺麗な外見をしている。それは否定のしようがない。あの高慢ちきなお嬢さんだってこれに関してはぐうの音も出ないのだから、おれなんかにはもはや、口を出すことすら許されてはいないだろう。しかしそんなジョルノが、おれのことを好きだという。冗談でこんなことを言う奴でないことはわかっているし、そうなるともはや、おれに逃げ道などは与えられていなかった。選択肢は、こいつを抱くか、こいつに抱かれるかである。
「…ちなみによ、おまえ、おれに抱かれたいのか」
「それは、そうですね…あなたを抱くくらいならば、そうしたほうが良いかとは思います」
「ああ、そう」と安堵のため息をつくおれを不思議そうに眺めるジョルノを尻目に、咄嗟に愛銃へと伸ばしかけた手を引っ込める。もしもこれでケツを狙われていたなら、おれはもう死んだってこいつの気持ちには応えられはしないだろう。しかし、そうなると、おれはこのガキのケツに突っ込むということになる。それって大丈夫なのか、倫理的な問題でだとか、それよりももっと手前の話で。あまりにも当たり前のように男のことを好きだと言ってみせたこの汚れのなさが、なんだか恐ろしい。
「ジョルノ、おれはおまえのこと嫌いじゃねーし、中々綺麗だってのも認めてんだけどよ」
「ありがとうございます」
「だからって、抱けるかっつったら微妙だぜ」
「…ひとつ、勘違いをしているようですね。誤解の無いよう、先に断っておきますよ、ミスタ」
かたちのいい唇が、淫猥に歪んでいく。まだガキのくせに、やけに大人ぶって見せやがって。そんな思いでいると、見下ろしているばかりだったジョルノがゆっくりと口付けてきた。当たり前のように潜り込んできた得体の知れない生物のようなぬるりとした舌に背が粟立つ。たっぷりと楽しんで、そうして離れていったそいつは、なんでもないと言ったふうな目つきをして言った。キスなんて夢だったような表情だった。
「あなたがぼくを抱くのではなく、ぼくがあなたに抱かせてやると言っているんですよ」
その瞬間のこいつの、小憎たらしい顔つきと言ったら!思わず呆然としているおれに、「随分と安っぽいチキンですね」と言って、ジョルノは部屋から出て行った。高々十五のガキのくせに、やけに色っぽい顔をして、そう言ったのだ。何故だか腹を立てることもできず、その薄い背中を眺めるばかりであったおれに、あの時こいつはどう思ったのだろうか。それだけが未だに、少し不思議だ。


「アルコールは嫌いです」
「へえ」
においがイヤなのだと、そう言ったジョルノの眉間は先程から険しい様子である。こんなにも天気のいい昼下がりに恋人とゆっくりと時間を過ごしているっていうのに、なんだってこいつは難しい顔をしているのか。もとから気難しいやつだとは思っていたが、それにしたって酷いくらいだ。黙ってもいれば、それはもう美しいのに。腹立たしいライムの匂いが鼻をつく。女なら少しはわがままなほうが可愛いと思うが、男であればそうもいかない。こいつがおれに対して惚れているなら尚更だ。少しくらいは甘やかしてくれているってのはわかるが、それにしたってこいつはおれに抱かれたいというのに、少しだってそんな素振りを見せやしない。今だっておれの嫌いなライムソーダをぷんぷんと漂わせて、そうして長いまつげを伏せている。まつげまで黄金なのか、と感心さえしてしまう。すっかり冷めたピザなんかちっとも美味しくなかったけれど、それが宿命であるかのようにおれはただそれを胃袋に収めていった。ジワジワと汗が伝う。脳まで茹だっているのではないかと思った。冷めたピザなんぞよりも、おれの体温の方がよほど高かった。華奢なグラスについた水滴を鬱陶しそうに払って、そうしてこちらを見たジョルノに心臓が跳ねそうになる。暑いからだ、こんなのは。
「…おれもよ、ライムってなんか、嫌いなんだよなあ」
「知っていますよ」
「ああ、そう」
「ぼくのこと、好きですか」
ぐらぐらと脳が揺れた。おまえのことを、おれが好きかだなんて、わざわざ聞くな。おれは未だ自尊心に浸っていたい。ライムソーダも長いまつげを持ったおまえも、好きなんかではないと言ってやりたいのに。
 

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